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泉美木蘭
2024.6.29 11:54

「不自然すぎる慈愛あふれる “基本的動物権”」

『泉美木蘭のトンデモ見聞録』
(6月4日配信予定だったもの)


第337回 「不自然すぎる慈愛あふれる “基本的動物権”」

■乱発される「チンパンジー人権申し立て」

アメリカでは10年ほど前から、裁判所に対して「チンパンジーに基本的人権を与えるべきだ」と申し立てる活動が行われており、そのたびに「チンパンジーに人権なし」と却下され、また上訴するというトンチンカンな申し立てが繰り返されている。

大学などの施設において、知能の実験などに利用されているチンパンジーに自由を与え、チンパンジー保護区に解放するべきだという考えのもと、「不当に拘束されているチンパンジーには、自由を回復するための『人身保護令状』を請求する権利がある」という主張が展開されているそうだが、原告は、当該チンパンジーではなく、動物愛護団体である。


https://www.afpbb.com/articles/-/3004853

かつて、黒人が「物」として売買されていた時代、「人身保護令状」を出して、法的にその身を解放したことに倣った申し立てらしい。その倣い方そのものが、黒人への差別意識の潜んだものじゃないのかと言いたいが……。

キリスト教原理主義的な感覚から発生した「人権」を、切り札のように掲げることそのものに問題がある上に(『週刊SPA!』小林よしのり「愛子天皇論」第237章「人権はいまだカルトなり」を参照)、人間が勝手に区切って決めた「チンパンジー保護区」に「解放」することが、「自由」を「与える」ことだと主張しているのだから、デタラメと思い上がりがスゴすぎる。

人間とチンパンジーが同等で、生まれながらに同じ「人権」を与えられし仲間であり、その境界はないと思うのなら、自分たちがチンパンジーと恋愛し、結婚し、所帯を持てばいいと思う。
チンパンジーを学校に通わせて教育を受けさせなければいけないし、仕事を見つけないといけないし、稼げないなら小さな石鹸カタカタ鳴らして暮らすしかないけど、選挙権は与えなければならない。

だが、単純に笑ってばかりもいらない。

このチンパンジー人権申し立て活動は、動物愛護団体の存在感を示すことで「クジラやイルカを捕獲するな」と主張する「シー・シェパード」など過激団体への寄付や動員力を高めることにつながっているという。

 

■スイスが「動物保護」先進国である理由

このような動きは、アメリカだけではない。

2022年には、スイス北部のバーゼル=シュタット準州で、動物愛護団体が「人間以外のすべての霊長類に基本的人権を与えるべきだ」と主張。霊長類を「物」ではなく「個人」として扱い、動物実験を禁止するべきだとして、州憲法の改正を要求した。

この発議案によって、スイスでは、世界初の「サルに人権を与えるべきか?」という住民投票(!)が行われることになったのだが、有権者の75%が反対。動物実験の禁止を問う投票も反対79%で否決された。

その後もスイスでは、動物愛護団体が、ブタ、ニワトリなど食用の家畜を大量飼育する「集約畜産」について、「ヒト以外の生物に対する差別である」と主張。
スイス連邦憲法に「家畜の尊厳の擁護」「集約畜産の禁止」を明記するべきだという改正案が発議されたが、国民投票で否決されている。

ところで、こんなことが憲法改正案として次々と発議されるなんて、一体どんな国柄なのか?
調べてみると、ここにはドイツ語圏であるスイスならではの事情が影響しているようだった。

スイスは「動物保護の先進国」と言われる国だ。
古くは1893年、「動物を屠殺する際に、麻酔なしで頸動脈を切る方法」を使用することを憲法で禁止。完全な血抜きをするため手段だったらしいが、これは、ユダヤ教徒が宗教上の行為として行っている屠殺法でもあった。
ユダヤ教は、血液を口に入れることを禁じており、肉や魚を調理する際は、ユダヤ法で定めた方法で徹底的に血抜き処理を行わなければならないのだ。

ところが、当時のスイス国内では、反ユダヤ主義が広がっていた。一方、大多数が信仰するキリスト教では、屠殺の際に、事前に麻酔を打つことが義務付けられていた。

これらの事情が絡まって、「動物保護運動」という名目で、「麻酔なしでの血抜きは、スイスの倫理では受け入れられない」「公序良俗に反する」などの議論が高まり、ユダヤ教徒に同化を求める風潮が出来上がったのである。

宗教上の行為を憲法で禁じるという改正案に対して、カトリックの一部からは、「信教の自由への侵害だ」という反対の声も出ていた。だがその反対派も、ユダヤ人への嫌悪感から投票を避けるという行動を示したそうで、憲法改正案は可決されるに至った。

■スイス政府、「ロブスターの尊厳」まで…

その後、現在までスイスは、世界で最も厳しい動物保護法を持つ国として、憲法で徹底して動物の尊厳を定め、「動物を不適切に痛みや苦痛、危害、恐怖にさらすこと」を禁止している。

麻酔なしに屠殺された食肉を輸入するのもダメ、牛の角をカットするのもダメ、毛皮や羽毛を染めるのもダメ、畜産農家は家畜1頭・1羽当たりのスペースや、家畜数の上限を守らなければダメ。

2018年には、「生きた甲殻類」を冷凍したり、冷水につけた状態で輸送することも禁じられ、さらに、「意識のあるロブスターやカニを熱湯で茹でること」も禁止された。
当時のスイス政府は「エビやロブスターなどの甲殻類には感情があり、不必要に苦しませることがあってはならない」と発表している。


https://jp.reuters.com/article/life/-idUSKBN1F008B/

あまりに突拍子もないニュース記事だったので、フェイクか、エイプリルフールのジョーク記事なのではないかと入念に調べてしまったが、スイス政府は大真面目らしい……。

日本へ観光に来たスイス人にとっては、伊勢海老の活き造りは壮絶な料理なのだろうか。

私の住む福岡県では、イカの活き造りが名物で、刺身になったまま生きているイカをみんなでつつき、さらにゲソの天ぷらにして食しているが、我々はイカの尊厳を踏みにじってイカんかったなあ~とか思う日が来るのだろうか?

来るわけない。

反ユダヤ主義の隠れ蓑としての「動物保護」精神からはじまって、動物の扱いや生活を改善するべきだという「動物の福祉」に発展、さらに、動物も人間と同じく生まれながらの自然権として基本的動物権があるのだという「動物の権利」へと到達――。

スイスのキリスト教的理性信仰は、日本人の私にとっては、動物への「不自然な慈愛」にあふれた「聖なる人間像」を生み出しているように見えてしまう。

 

■フランスで犬猫の販売が禁止された理由

フランスでは、18世紀後半には、他人が所有する動物への暴力を罰する法律ができていた。当初は「動物=財産」という考えに基づいての法律だったが、19世紀になると「動物の虐待を目にしてしまう人間の感受性を守るべき」という趣旨で、家畜やペットに対する虐待が禁じられた。

20世紀後半になると、動物系学問が発展したことで、「動物は苦痛を感じる存在であり、人間はそれに共感すべきである」という考えが広がった。このあたりから、動物愛護団体が「動物自身の幸福のために動物を守る」という趣旨での活動を活発化。
2015年には、動物の法的地位を「物」以上とし、フランス民法典に「動物は感情のある生き物である」という規定が設けられるに至った。

この流れで、2021年11月に可決されたのが、ペットショップでの犬猫の販売を禁止する法律である。

以前のフランスには、ショーケースのなかで遊ぶ子犬・子猫の姿を通行人が眺めるという風景があったそうだが、現在はそのような展示は禁止されており、ペットショップでは、動物愛護団体の施設で保護された犬猫の譲渡のみが可能なのだという。

日本でも、犬猫の売買で「先天性の障害があるから返品だ」「別の健康な犬と交換しろ」などのクレームが起きているという話を聞くたび、うすら怖さを感じる私だが、その反面、ペット関連業で働く人々を失業させてでも販売を禁止するフランスは、凄い決断をする国だなと改めて思う。

調べてみると、フランスが、日本とは比較にならないほどの「ペット大国」であるという事情もあったようだ。


■フランス人の「ペットを捨てる」規模

日本での犬猫ペット保有率は、犬9.6%、猫8.6%(令和4年)程度。
一方、フランスでは50%以上、実に2軒に1軒が、犬か猫を飼っているという。

法律で「ペット保有の権利」が認められているために、日本と違って、マンションの賃貸契約や管理規約において「ペットの保有」を禁止することができないという住宅事情も後押ししているらしい。

動物を「感情のある生き物」と定義しておきながら、一方で、人間には「ペットを保有する権利」を認めているのだから、どういうバランスがあるのか、よくわからない。

保有されているペットが、「このクソ飼い主め」と負の感情を抱いていた場合はどうなるのだろう?
ペットに感情があるなら「人間に保有されない権利」も認めたほうがよいのではないの?


しかも、「子供のおもちゃ」として気軽に犬猫を飼う人が多く、数年経って子供が飽きると、手間や費用がかかるという理由で捨てる人も多いのだという。
捨てるにもシーズンがあって、集中するのは5月から8月。フランス人は、夏に数週間の長期休暇をとって遠方へ出かける「バカンス」の習慣があるのだが、そこで面倒になって捨てるらしい。捨てられるペットの数、毎年10万匹あまりというから仰天する。

日本でも、ブームに乗って飼った犬猫をすぐ捨てるという現象が問題視されているのだが、フランスは「人間の勝手」の規模が違った。

フランスをはじめとするヨーロッパ各国は、他国を植民地にして、人間を動物と同じように「奴隷」として扱い、所有して開拓していった。「同胞の人権」という視点から世界を眺めて、どこまでも徹底して合理化してしまう。

一方の日本人は、自然の脅威に畏怖し、諦観もしながら、自然の恵みをありがたくいただいてきたという国民性がある。ヨーロッパ諸国のような合理化や、キリスト教的原理主義から派生する考え方には本質的に馴染まないし、理解も難しい。

海の恵みのない国から「ロブスターやカニ、イカには感情があるんですよ!」なる説を布教されても意味がわからないし、ペットを保有する権利を獲得したと思ったら、そのペットを自分都合で気軽に捨てたりする国から、動物のための幸福を考えるべき」と説かれても「はぁ?」と思う。

■動物権カルトから発祥した「ヴィーガン」

家畜に対する過剰な愛護精神と権利意識は、「家畜を食べるな」という考えにつながっており、すでに「ヴィーガン」(動物由来の食品を一切食べない完全菜食主義者)として、商業の世界に紛れ込んでいる。

ヴィーガンは、「自然派」「環境派」「地球派」「美容」「ダイエット」「腸を美しくする」などの触れ込みとともに、いかにもオシャレなトレンドとしてファッション誌などに取り上げられているが、そもそもが「基本的動物権」というカルトを信奉する人々から発祥したものだということを知っておいたほうがよい。

「動物愛護先進国」方面から流れ込んでくる、動物に対する人間本位の不自然な慈愛には、どこまでも首をかしげておきたい。
時代の流れとともに、徐々に権利意識や感覚が変化していくことはあっても、「外国では当たり前らしいのに、自分たちはまだ取り入れていない」という劣等感から「グローバル・スタンダード」に巻き取られていくと、どんどん日本人的な感覚は失われてしまうのだから。

 

泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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